2004-04-01から1ヶ月間の記事一覧

エリックレイモンドの「ノオアスフィアの開墾」

■でタイトルに使っているノオアスフィアとは、人間の知識、活動の総体が織りなす圏を指すらしい。 僕は、その圏にいる限り反復の総体化でつかめるモノを見つけたいのだ。だから、タイトルに"Catcher in the Noosphrer"というタイトルを付けている。

こういった反復行為は無意味か?

■無意味か有意味か考える前に、 僕は行為の反復につきあおうと思う。■社会は延々とこういった一見無意味に思える反復行為を繰り返している。■ならば、普段関わっている「会社」という枠組みの外で反復行為を行うことで、「会社」で行う反復行為を相対化する…

また僕は反復行為を始める

■日記を書く行為は「かけがえある」行為だ。だれがやってもいい。 このはてなダイアリーで書くことがまさにそれを認めている。 結局その相対的位置決めを決めるために、個々人が日記を書く。 世界の中で反復される、延々と続く日記を書くという行為の連鎖が…

相対的な位置決めのための個性

■ならば、どこかに自分と似たような個性(クセ)を持つ人間がいるということだ。 その時点で、自分がもつと錯覚している「かけがえのなさ」はなくなってしまう。

社会のなかの個人の役割は相対性で決まる

■と誰かが言っていたような気がするけど、まさにその通りだ。 部品Aと部品Bが相互に絡んで役割を演じられれば、それで社会は回る。でも、部品Aと部品Bは、個々人のクセが反映されて相対的な位置が決まってくる。 クセがなければ相対的な位置が決まらないから…

そろそろ、社会と自分の関係を見直したい

■と言って、僕は社会人なったけど、社会と僕自身の関係を未だにつかめずにいる。■社会の個人に対する要請は「取り替え可能」であること。 よく世の中に転がっている表現で言えば、「社会の中の歯車」だ。 歯車は取り替え可能で、摩耗すれば取り替えれば良い…

From Standpoint of Daily Life

■というタイトルで日記を付け始めたのが、99年の12月だった。 それから、5年たって学生だった僕は社会人となって働いている。 自分の日常生活の観点から、周囲を見渡してみて感じること、 そして、自分の中にあるモノローグを救うために、と少々センチメンタ…