そろそろ、社会と自分の関係を見直したい

■と言って、僕は社会人なったけど、社会と僕自身の関係を未だにつかめずにいる。

■社会の個人に対する要請は「取り替え可能」であること。
よく世の中に転がっている表現で言えば、「社会の中の歯車」だ。
歯車は取り替え可能で、摩耗すれば取り替えれば良い。

■「取り替え可能」であることは、社会から見れば個人として認識されず、
少々のロールをこなせる部品ということになる。

■取り替え可能性を要求する社会はなぜか「個人」であることを強制する矛盾がある。
取り替え可能だけど、「かけがえのなさ」を求める。
なぜか?

■社会の中での部品には、少々のクセが要求される。
役割を演じる上でのスパイスと言えばいいのだろうか。