日常が延々と続くことに対して

ある夜、僕は自分の中に続く日常に対して少々倦んでいることに気づく。
「倦む」=「飽きる」
という意味らしい。
自分が何かをすることに対して少々冷めていることに気がつく。
自分が何かをしてそれが意味があることとは思えない。

「それ」がクールであるかどうかとか、
「それ」がホリブルであるかどうかとか、

まぁ、自分にとってどうにもいいことだったりするんだけど。

文章が少々パノラっているのはしょうがないこととして。

たださ、道ばたの14歳くらいの女子中学生が世の中に倦んでいて、
「ああ、倦んでいるんだな」
と気づくとどうにも悲しくなる。

きのう会った、3歳の少年(3歳だって立派な少年だと思う)だって
もしかしたら倦んでいて、
「世の中楽しくしてやる」
と無邪気な顔をして僕に迫ってきていたら、
なんだか悲しくなる。