「あの多感だったころ」

という表現もあるけれど、今も今なりに傷つくこともあるし、
昔は傷つかなくても今の方が傷つくこともあるんだろう。

ピーターフランクルが、
「大道芸人だった頃、人から拍手をもらうのは至難の業だった。
でも、今は講演に行くと、うやうやしく出迎えられ会場では拍手喝采となる。
僕は偉くなったのだろうか?
いや、違う。僕は、年齢を経ただけなのだ」
と言っている。

自分が年齢を経たことに関して傷つくことは、少年時代にはありえないのだろう。
そういう傷つきかたもある。

「人との別れのときも、
別れた自分が哀れで嘆くことは少年時代にはあるけれど、
別れた人の行く末を案じて嘆くことは少年時代にはありえない」

これも、どこかで書いてあったことだ。