揺らされるということ

感情が揺らされることに弱い。
特に僕は感情の起伏が激しい。
もちろん、幼少期からの揺れと比べて振幅が
小さくなっているとは思う。

ただし、上限の感情と下限の感情を繰り返し行ったりきたりされると、
徐々に感情の振幅が大きくなって、ころっとだまされたりする。

例えば、失意と喜びを行ったりきたりされたり、
笑いと怒りを行ったりきたりされたりするともうだめだ。

ちょっと考え見ると、こういった感情の振幅を利用して人を動かす手法は多い。
例えば、自己啓発セミナーの場合、
初期段階では相手の感情を落とすだけ落とすらしい。
落としにくい場合、相手の自尊心をくすぐってそれから、落としていく。
つまり、相手の存在の否定をとことんまで続けるのだ。

・・・という話しを聴いたことがある。

そうすると、大体の人は自発的に服従の状態に追い込まれていくわけだ。

某宗教団体では、それをするために薬物を使ったらしいし、
音楽を使ったりするものもあるらしい。

どうやら、人間の脳みそは物理的にも精神的にも
揺らされるのによわいらしい。
どちらにしろ、脳に対する刺激が力学的なところか化学的なところだから、
物理的という言葉に集約されるので、上記の表現はおかしいということになるのだが。

実は今まで述べてきた手法は営業などの手法でも使えて、
実際に使っているところもあるらしい。

納得ずくでの自発的服従ならいいが、
感情の振幅の増大など、妙な手法を使って自発的服従の状態に追い込んでいくのは
どうも納得がいかない。