国家百年の長計ね

国家百年の長計とは言うけれど、
政府の方々がどのように100年後を考えているかを考えているのか
ふと疑問に思う。
別に、天下、国家を語るつもりもないので、個人的に好き勝手に想像を膨らませてみる。

改めて考えてみると、100年後はどうも想像が及ばない。
想像が及ばないので、ちょっと感覚的に考えてみよう。
細分化すると難しいので、2分化してみる。
つまり、暗い未来と明るい未来。
暗い未来、明るい未来というのは、
自分の希望的な観測(ユートピア的な観測)と
少々暗い未来(ディストピア的、あるいはサイバーパンク*1な観測)の2つのこと。

ユートピア的な未来
明るい未来、あるいは希望的、楽観的な観測に基づく未来
ディストピア的な未来
暗い未来、現実路線、あるいは、現実の悪い事象が進行している未来

ふむ。少しユートピア的な未来を考えてみるとどうにも気味が悪い。

良く出される標語として

皆が幸せに生きる世界

というここ15年ほどで地に墜ちてしまった言葉がある。

まず、揶揄されるのが”幸せ”の定義。
”幸せ”とは個々人の相対的な価値感覚だからだ。
「他人の不幸が幸せ」という少々変態的な価値観の人だっているかもしれない。 *2

次に揶揄されるのが、資源の限界性の問題。
例えば、今後の人口の伸びを考えたときに、今でも南北問題があるのに、
みんながお腹いっぱいになるだけの食料が100年後に用意できるとは考えにくい。
食料だけでなくて、化石燃料の話だってある。
石油、石炭だけではなくて、どっかの国とどっかの国が天然ガスで
海の上でけんかを始めようとしている。*3 *4 *5

その状況で「みんな幸せ」なんていう言葉はお笑いにしかならない。
結局、誰かが幸せになろうとすると、誰かが不幸せになる構造があるということになる。

笑ってしまうほどに当たり前の話し。

*1:明るい未来なサイバーパンクってのもあるかもしれないけど

*2:ここで、功利主義の「最大多数の最大幸福」や、ベンサムの「量的快楽主義」または、その系譜に連なるリバタニアンの人々や、憲法の話に思い当たる人もいるだろうけど、その話は、また別のお話

*3:大体、テレビでけんかをあおるなっていうの

*4:ちなみに、20年後くらいの未来を描いた太田垣 康夫の"MOON LIGTH MILE"(小学館)でもエネルギー問題を巡ってどっかの国とどっかの国が対立している

*5:ソイレントグリーンという「人間を加工した食品を製造する工場が登場する」ある意味の未来のディストピアを描いた映画もある。