なぜ、土俵を壊すのか。
現在の土俵上の権威や利権構造といったアーキテクチャを崩すには土俵を崩すしかないのだろう。
梅田望夫さんが言うように、
「あちら側」の広大なフロンティアを指向した瞬間に、必然的に
「こちら側」の土俵を壊すことになってしまう
ということなのかもしれない。
「土俵を壊すことは目的ではない、ただ必然的に土俵を壊れてしまう」
という意識を持ちながら、フロンティア(あちら側)を指向する人間が、
どうも意識的に「"あえて"土俵を崩す」という方向で動いているのではないかと
勘ぐってしまうときがある。
それが、
「フロンティア指向」なのか、
「利権構造に食い込んでいくための行動」なのかは、
僕には分からない。
逆に「利権構造に食い込んでいくための行動」のために”あえて”「フロンティア指向」という態度を取るという人間も出てきそうで少し怖い気がする。
どうにも最近このような不安ベースでの思考が世間を席捲しているので
僕も不安ベース思考にも飲み込まれているらしい。
フロンティア指向が新しい価値を産むかもしれないのに、
その、破壊的な「既存の土俵を崩す」構造に我々が恐怖しているのも確かなのだ。
この点に関しては自分がどのようなスタンスに立てばよいのか正直分からない。