セカイ系

■巷ではセカイ系なる概念が話題なっている模様。
■はてなの質問がメールで毎日やってくる。
最初は非常にうざいと思っていたのだが、
案外他人の疑問に思っていることが自分にとって興味深いと言うことを発見してしまった。

■その質問のなかにセカイ系なる言葉があったわけだ。

セカイ系の定義は、

□「自意識が過剰な主体が持つ強固なセカイ観にまつわる認識並びに行動をテーマとする作品群」

だそうだ。
エヴァンゲリオンほしのこえ、一連の村上春樹の作品など、多数がこれにあたるようだ。

■ただし、宮台真司がもつセカイ系の定義とは全く逆方向のベクトルを持っていることが非常に興味深い。

宮台のセカイ系の定義は、

□「セカイは不条理であり、その不条理さに苦悩する主体を描写する作品群」(ちょっと、この定義違っているカモ)

である。代表的な作品として、白石一文「僕のなかの壊れていない部分」、
村上春樹神の子どもたちはみな踊る」などがこれにあたるらしい

逆に、宮台はセカイの不条理を描かない、
主体の自分探し系小説を苦悩が足りないと痛烈に批判する。

その矢面として、村上春樹の「海辺のカフカ」が挙げられている。

■繰り返す。
宮台のセカイ系とネット一般系の流布するセカイ系の定義が真っ向から対立するのはなぜか?

■少々考察の余地があるので、考えがまとまり次第書いていくことにする。